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ほんとはいいたかったこと・・・鈍間雑記

『奇ッ怪 其ノ弐』@りゅーとぴあ劇場(9/6)

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~現代能楽集Ⅵ~
作・演出/前川知大
出演/
仲村トオル(山田)
池田成志(橋本)
小松和重(曽我)
山内圭哉(矢口)
内田 慈、浜田信也、岩本幸子、金子岳憲


【あらすじ】
数年前、地震による地割れと地滑り、地下からの硫化水素ガスの噴出という災害に見舞われた山間の村。多くの住民が亡くなり、生き残った住人も去り、廃墟となった村に、神主の息子(矢口)が戻ってきた。理由は、最近父親の霊の夢を見る意味を知りたかったから。
社には男(山田)が住み着き、口を利かない浮浪者の様な者(亡霊)がうろついていた。
山田は立ち寄った村の再開発計画中の業者(橋本)と、地質学調査(曽我)と矢口の三人に物語(昔話)を語り始める・・・(参考:パンフ)



今頃ですが(のろのろ)。

前作『奇ツ怪~小泉八雲から聞いた話』が好評だったこと(未観劇)、『抜け穴の会議室Room.№002』が面白かったので期待して劇場へ。
『抜け穴・・』のロータリーみたいな“ぐるぐる”したセットも面白いと思いましたが、今回も好みの雰囲気。廃墟の村にる社なんですが、能舞台を意識したような形(キザハシ(階)と橋掛かりみたいな通路)と“ぼこぼこ”と橋掛かり部分に4つ、本舞台部分に2つ、奈落へ落ちる穴。通路は奥の方が狭くなっていて(多分)、両脇に天井まである断崖のような壁があり、実際より更に奥行きがあるように感じます。


『抜け穴・・』は輪廻転生の物語でしたので“ぐるぐる”セットは何度も生まれ変わってきたず~っと昔からの“記録”(自分の前世が書いてある本が登場するので)のようなものかなと考えていたので、今回の“穴”はどういう意味(というかイメージ)かなと考えながら開演を待ちました。珍しく東京公演の感想を読んでいたので、最初を見逃さないようにしなくっちゃと思っていたのに、珍しく公演前にかったパンフ(休憩時か終演後に買うことが多いです。面白かったら買うみたいな)が気になって仲村さんを読み終わって顔を上げたら、亡霊が登場していました。どこから登場したのかわかんなかった(泣)いつの間にか始まってるというのも能楽っぽいってことでしょうかね^^;


能楽演目を現代風に演出するのではなく、現代劇を能楽風(夢幻能)に演出されていて、能楽に興味がある観客はには随所に“ツボ”があり、かといって能楽に全く興味のない方でも楽しめる舞台でした。
能面を連想する“白い面”をつけた亡霊たちの“ゆっくり”とした動きは、能の所作・型のようです。この亡霊たちの動きをもっと注意して観ておけばよかったと少し悔しい。
亡霊が足の裏を払う動作を“矢口”が真似する場で笑いが起こりました。私も”ぷっ”となりましたが、意味を知ったとき何ともいえない気持ちになりました。亡霊たちの“謎の動作”は生前の“日常の何気ない動作”だったんですね。

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山田の語る昔話は「生と死」をめぐるもので、内容を簡単に説明すると
①事故死した息子の臓器を移植した相手を探す母親
②「暴行されてる男」を見て見ぬ振りした事に罪悪感を持つ男
③鬱病による自殺で妻を亡くした夫
④震災前に、祭り準備で境内に集まった人々
・・・って、とこでしょうか(すごい大雑把ですが)
山田の物語は「死者の言葉」
語ることが「鎮魂」

亡霊が白い面を取ると、スイッチが切り替わって物語の登場人物になります。
どれも楽しいエピソードではありませんが、笑いが散りばめられています。
散りばめられているというより「悲」と「怖」の間に「笑」が挟まれているが近いかな?
能楽でいうと「初番目物」と「二番目物」の間に「狂言」みたいな。

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父親の霊の夢をみたことから矢口は故郷へ戻ってきたのですが、夢を見させたのは山田ではないかと思います。山田は神社に祀られてる神様だと思います。神主さん(父親)が立派なお供えをして祀っていたので、ちゃんと成仏させてあげたかったんじゃないかと。神主さんや他の村人が言い遺したこと(何があったかを)を伝えるために、矢口(息子)を村へ戻すために夢をみさせたのでは?
山田の「今日は矢口君がいるから(橋本と曽我が)気付くと思ったんだけどなぁ」という台詞で思ったことです。実は、橋本と曽我は「死んだことに気づいていない霊」だったんです(これを物語の一つと見ると、五番立能っぽくて丁度いい気がします)。
白い面の亡霊と違い、人間のようにしか見えないけど、震災の日から先がないので、何度も出会いの場から繰り返し。
最後に、境内の村の人々と神主さんが成仏して、祭り準備の痕だけ残った。今まで見えなかったのは「夢幻」の境内だったから・・・というのが私の解釈です。

“穴”のイメージですが・・・
う~ん「未練」でしょうかね・・・?「未練」が残っているから成仏できなかったわけで。
何度も何度も穴から出てくることを繰り返すのも、穴に落ちた人(死)も。

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6月末に開催された“りゅーとぴあ”でプレシアター・トークで、全体像すら決まってないようなことを仰っいて(多分、もしかすると全体像はできたけど脚本がまだってことかも)一ヶ月で初日なのにと驚きましたが、観劇後は「一ヶ月でこれだけの作品が作れるんだ!」と更に驚き。
今回は後方席の方が当たりかも。



死者がいる。
この世にいないものを死者と言うが、死者がいる、と私達は言う。
過去、と言い換えてもいい。かつてここにいたのだから。

それは数百年昔に生きた佳人であり、昨日のあなたでもある。
能の物語には多くの死者が現れる。
彼らは詠い、舞い、語りかける。
言い残したことがあるからだ。

同じように私達も、常に誰かに何かを言いそびれている。
言い残された言葉たちは、心の中で行き場を探している。
物語にできることは、そんな言葉を拾い上げることだろうし、
私達にできることは、その言葉に耳を傾けることだろう。

もし友人が席を立たないなら、まだ話が残っていると思った方がいい。
同じように、目の前に死者が現れたなら、逃げ出さずにこう言うべきだ。
「話があるなら、聞きますけど」

奇ッ怪 其ノ弐が語るのは、「能」と「狂言」から着想を得た、
言い残された言葉たち.


(りゅーとぴあ作品情報より)
by k-mia-f | 2011-09-19 03:42 | 演劇