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ほんとはいいたかったこと・・・鈍間雑記

『炎の人』」@りゅーとぴあ(7/4)

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作/三好十郎  演出/栗山民也
出演/市村正親(ヴィンセント)、益岡徹(ゴーガン)、
荻野目慶子(シィヌ・ラシェル)、中嶋しゅう、大鷹明良、
今井朋彦、銀粉蝶 ほか

い、いまごろですが・・・(のろのろ)
サボテンは舞台と何の関係もありません^^;

じ、じつは三好十郎さんを全くしりませんでした。
何時書かれた戯曲かもわからなかったし(1951年)、どういう経緯でかかれたかも知らなかったし(民藝からの依頼)、何度も再演されてる有名な作品だなんて知りませんでした。加えて美術の素養もありません。
無知な私が書くこものを許せる人だけ先におすすみください。


あのね、役名をみると”ポール・ゴーギャン”は”ゴーガン”としか書かれてないので、”ヴィンセント”と”ゴーガン”で書きます。
(私は”ゴーギャン”の方がいい慣れてるんだけど、”ゴーガン”が主流なのかな?最初に覚えたのと違う名前だと違和感ありますです)


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最近は最初から幕が開いてる演出が続いていたので、幕が下りてるのが逆に新鮮に感じます。
幕が上がり、最初はボリナージュ(炭鉱スト)の場。
照明は暗いし、内容も暗いし、労働者は団結してるし、ヴィンセントはなかなか登場しないし。
「蟹工船ブームだからって、今回はプロレタリア演劇なのか?」と少し面食らってしまいました。
ヴィンセントが登場して「あぁ、(自分的に)やっとはじまる~~」、画家の前は宣教師とわかればいいんだろう程度で、プロレタリア劇が長すぎだろうと思っていて、後で観方が浅いことに気付きました。
ヴィンセントの「思い詰める」「のめり込む」性格を説明しているんですよね。
ゴッホの家系は牧師と画商が多く、お芝居には登場しませんが、ヴィンセントの祖父と父も牧師です。ヴィンセントが宣教師には不適正といわれても諦めないのは、妙なな自信があるのはこの辺りが理由?

ヴィンセントは自分を犠牲にして労働者につくします。
彼らと一緒に坑内へはいり、ストでは交渉人ですから労組のリーダー格です。
貧しい人たちに同情し、必要以上に(自分の出来る範囲を超えて)に力になろする、ハーグでのシィヌとの関係も愛情というより同情じゃないか?

場面転換、ハーグの場・・・ なんかこここも照明暗い気がする(内容も暗い)。
この場を観ると「明るい絵なんて無理だよね」って思います^^;
この辺りの史実がわからないのですが、お芝居では炭鉱労働者に続いて、またしても不幸な人を助けてあげられなかったことで、逃げ出したと受け止めました。そして、新世界へ。

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パリの”タンギー爺さん”の場はガラリと雰囲気が変わり楽しい雰囲気。
前の2場が暗いので、なんかほっとします^^
パリで若い印象派の画家たちに刺激され、浮世絵を知り、鮮やかな色彩に目覚め、タンギー爺さんの画材店で熱い討論。
ヴィンセントは今迄の遅れをとりもどそうとしているのか、進路がビシッとみえてきたというか、熱いです。
やっと知っているヴィンセントになってきた、「ひまわり」を描くパワーをもってる人になってきた気がしました。
「見たままに描く」ヴィンセントの画風(性分?)も可笑しく表現してました。
(考えすぎかもだけど、労働者の真似がそうかなって。ヴィンセントは経験者だし。)
「タンギー爺さん」のバックって賑やかですよね(浮世絵がいっぱい)
あれって、自分の好きなものを詰め込んだんですね?
『見たい」「知りたい」「上手くなりたい」って気持ちがあふれてる気がします。
市村さんのヴィンセントにもそういうのを感じました。
肖像画を描くようすは、ほのぼのしていて、美術部の高校生(美大生ではない)と祖父って雰囲気です。
この頃のヴィンセントの理解者はテオとタンギー爺さんだけかしら?ゴーガンは気にはかけてりたけど認めていないですよね。ヴィンセントはゴーギャンを崇拝、態度が急変するところで笑いが起きました。
(ゴーガンが「黄色い家」へ行ったのは、ヴィンセントより画商のテオとのつながりが大事だったからだと)


パリで前半終了。
ここまでは割りと大掛かりなセットで、オペラを観たくなりました(私の中では豪華なセット=オペラなので)。
ハーグの暗いアトリエを観ていたら『ラ・ボエーム』を思い出しました(オペラ映画で観たばかりだし)
『ラ・ボエーム』も共同生活でしたが、目指す物が違っていたから上手くいったのかもしれません。


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後半は待望のアルルの場ですが、ここで軽いぎっくり腰が重症になるかと思った(泣)
舞台後方に次々と映し出される数々の名画、舞台上には誰もいませんが、ヴィンセントの声だけ響いてる。
”響いてる”のではなく、”流されてる”だ。
自分が書いたテオへの手紙(多分)を読むヴィセントの録音が流れてるんです。
これが、大盛り上がりのスタ・オベに私がのれなかった理由です。
これが長くてねぇ、正直帰りたくなりました(泣)
これって、テオが舞台で手紙を読み上げるでは駄目かなぁ・・・
なんかね、コンサートホールでCDプレイヤーの音を聞いてるのと同じ気がするんだけど・・・
私だけかなぁ・・・客席の様子だと私は少数派みたいです。

名画が映し出されていたスクリーンが上がり、ヴィンセントが登場して安心したのも束の間。
「黄色い家」でのゴッホの心情吐露にまた録音つかってる(怒)
だ~~ のど飴の袋をやぶりたくなったですよ!(注:思っただけです)
録音と生じゃ声違うしさ、独白が嫌ならだまってれば、十分通じるよ(怒)
もちろん効果音はOKですよ。 でも、これは、これは違うよ~~ 
何で皆平気なんだろう?? 

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がっかりもしたけど、ゴーギャンとヴィンセントの討論や、正気でいられなくなったヴィンセントセントは見応えありました。配役もよかったんじゃないでしょうか(なんか偉そう^^;)大柄で堂々といたゴーガンでした。
ハーグのシィヌとアルルのラシェルの明暗もよい感じだと思いました。

下手にはゴーガンの「ひまわりを描くゴッホ」、上手にはヴィンセントの「ひまわり」がおいてあります。
ヴィンセントはゴーガンの描いた自分の目について講義します。ここで何故か笑いが^^;
ここは緊張感漂うところだと思うのですが、市村さんてかわいらしいとこあるから、拗ねてるように感じた人もいたのかもしれません。
ゴーガンは悪意をもって描いたのでしょうか?この頃にはヴィンセントの才能に気付、ライバルと思っていましたよね?でも、ゴーガンってプライド高そうだし、ヴィンセントに自分の画風をおしつけてるし(というのを読んだ)、わざと怒らせようとして描いたのかしら?
ヴィンセントが「ひまわり」を破るところで ”勿体無い。これていくらだ?”と思った私は心が汚れてる・・・

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3時間あったのに、物足りないんですよね。
理由は後半があっけなかったから。これは、”録音の声”が嫌な私だけな気がしますが・・・
私としては、やっと盛り上がってきたところで”耳切”の次は何?と思ったら、もうエピローグ^^;
(耳切は最大見せ場だしねぇ)

耳切後に場面転換、舞台後方には病院で自画像を描いているヴィンセントと、見守るテオと看護婦。
この3人は台詞なしで、ルーアンが事件後のヴィンセントについて語る(これは録音じゃないですよ♪)というもの。最後にヴィンセントに呼びかけるのですが、最初に書いたような理由で意味がわからなかった^^;
それが、こに部分(パンフレットより)

ヴィンセントよ、
貧しい貧しい心のヴィンセントよ!、
今ここに、あなたが来たい来たいと言っていた日本で、
同じように貧しい心を持った日本人が、
あなたに、ささやかな花束をささげる。
飛んで来て、取れ。


正直、今もわからない^^;
作者が直接ヴィンセントに語りかけているとのことですが、舞台で観ると(聞くと)”日本人”=私(観客)なので、「そんなこと言われたたっ・・・」というのが私の気持ちです^^;


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う~~ん。
録音時間を仮に含めても(しつこいが私の中の上演時間には含めない)、エピローグもいれても、前半と後半では上演時間にけっこう差があった気がします(セットの都合もあるしねぇ)。
休憩中に外へでなければよかったかも(15分だし)。
一度会場の外へでると、モチベーション下がりませんか?
外へでなければ、物足りないなんて思わなかったかも。

いろいろ文句を書いたけど、安心して観ていられる3時間でした。
もともと観劇本数は多いほうではないので、昨年は試しにいろいろな演出家の作品に挑戦してみましたが、若い作家・演出家よりは古い作品の方があってるみたいです(その割に文句たれてるが・・・)
若い作家とうより、コメディがあわないのかなぁ。
狂言や落語は好きなんだけど、正直、若手のお笑い芸人さんてわからない。
馬鹿にしてると思う人がいそですが、たた合わないだけなんですけどね。
面白さがわからなくて、バックの笑い声にもむかついたり。
某作家の舞台が気に入って、次の舞台を観たらお笑い番組観てるときと同じ気分になりました。

りゅーとぴあのアンケートで 「演劇の魅力を一言でいうと?」というのがあり
「空気」と「言葉」と書きました(いくらなんでも短すぎるか^^?)
コンサートでも、能楽でも、文楽でも、演劇でも、オペラでも、TVだと伝わらない・・・こう、その場所の雰囲気が好きです。


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「見たままのもの描く」のがゴッホ
「想像したものを描く」のがゴーギャン

アルル時代のゴッホの作品で、ゴーギャンの影響を受けて「想像して描いた」某作品にはパワーが無い気がします。ゴーギャンにはゴーギャンの、ゴッホにはゴッホのやり方があるってことなんでしょうか?
じ、実はゴッホの画はそんなに好きじゃない。
理由は、なんか押されて気分になるといいますが、パワーがありすぎ。
疲れてるときに、ぼ~っと画集を見ようなんて気にならないです。
ぼ~~っとしてちゃいけない気がするんです。
これも、太陽のせいなんだろうか?



アルルでの共同生活は2ヶ月。
もしもゴーギャンがアルルにこなかったら、ゴッホはどういう人生をおくったんでしょうね。
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by k-mia-f | 2009-07-12 20:40 | 演劇