ANA国内線【PR】
ほんとはいいたかったこと・・・鈍間雑記
guru2.exblog.jp
トップ
カテゴリ:演劇
  • 『ガラスの動物園』@シアターコクーン(3/22)
    [ 2012-03-25 21:14 ]
  • 『サド侯爵夫人』@世田谷パブリックシアター(3/14)
    [ 2012-03-18 21:32 ]
  • 『90ミニッツ』@りゅーとぴあ劇場(2/4)
    [ 2012-02-19 21:33 ]
  • りゅーとぴあ劇場バックステージツアー(2/12)
    [ 2012-02-13 20:52 ]
  • 劇団AUN『十二夜』@赤坂RED/THEATER(1/18)
    [ 2012-01-22 20:48 ]
  • 本音
    [ 2011-09-27 07:11 ]
  • 『ペリクリーズ~船上の宴~』@りゅーとぴあ能楽堂(9/8)
    [ 2011-09-21 22:08 ]
  • 白石加代子「百物語」シリーズ第二十九夜@りゅーとぴあ劇場(9/20)
    [ 2011-09-21 07:13 ]
  • 『奇ッ怪 其ノ弐』@りゅーとぴあ劇場(9/6)
    [ 2011-09-19 03:42 ]
  • 『ベッジ・パードン』@世田谷パブリックシアター(6/8、7/27)
    [ 2011-08-14 10:57 ]
『ガラスの動物園』@シアターコクーン(3/22)

シス・カンパニー公演

作/テネシー・ウィリアムズ
演出/長塚圭史
翻訳/徐賀世子

出演
立石涼子(アマンダ)
深津絵里(ローラ)
瑛太(トム)
鈴木浩介(ジム)





セットはコンクリート壁(っぽい色)、左右に3個づつ扉、奥に大きな窓、仕切りを外した大広間みたいに感じました。今回は後方の中央なので舞台全体が良く見渡せます。

戯曲のト書きが細かくて、その割りに(?)「自由に演出して!」みたいなこと書いてあるのでどういう雰囲気になるのかと気になっていましたが、意外と正統派だなって思いました。黒子役も兼ねたダンサーの登場には驚きましたけど。

セットに同化するような衣装のダンサーたちの手足が、扉・柱から”にょきっ”と現れたときは目が点でした。ダンサーたちが踊りながら家具を運び入れる“黒子”には拍手。ダンサーたちの動き回る姿が(私は“踊り”というより“蠢き”に感じました)は何かに捕らわれているウィングフィールド家の人々に見えました。
ボキャ貧でうまく言葉がでないのですが、その言葉に出来ない気持ちを表現しているのかなって思います。
う~ん しいていえば、不安だったり、苛立ちだったり、焦りだったり、後悔だったり・・・。
ダンサーによる場面転換(家具の配置換え)が面白くて「斬新な正統派」という感じ。


**********


キャストも良かったと思うし、演出も気に入ってるし、好きな戯曲だし、何も文句はありませんが、
しいていえば(^^;)
ジムに角のとれたユニコーンを手渡す際の「お土産」が気になります。紳士がジェントルマンでも、はにかみ屋がシャイでもいいけど(意味は変わらない思うから)、記念品と土産はちと違う気がします。ほんっとに小さいことですが。
行けるならもう一度観たいと思う作品ですが、映画みたいに気軽にはねぇ・・・ 交通費もかかるしねぇ・・・ 


語り部であるトムを演じた瑛太さん、抜け出したたいという気持ちといいますが、エネルギーを感じる演技でした。ローラの深津さんも"おどおど”した様子も、個人的に嫌な思い出が蘇ってくる演技でした。アマンダの立石さん、私のイメージしていたアマンダと違っていましたがかえって良かったかも。ローラのことより自分のことが大事(ローラのことを恥ずかしいと思っている)というイメージが強かったのですが、今回は自分よりローラの行末が心配(ローラを可哀想と思っている)と感じました。

ローラとアマンダの今後がどうなるか・・・
近頃、「アパートで餓死と思われる遺体を発見」なんて事件に驚かなくなりました。
もしかして、私もこうなるのかなとか考えたり。
ローラとアマンダもこんなこと想像したのかしら?
もしかして、トムは船上で役所から電報を受け取ったのかしら?
・・・なんてね。 

ジムを演じた鈴木さん「感じのいい、ふつうの青年(小田嶋訳)」」でした。
多分、きっと誰とでも話を合わせてくれそう。


**********


家族の物語ですから、自分の親子関係と重ねて観てしまいます。
正直、ぐさぐさと刺されている気分です。
そんな舞台を面白いと良作と感じる自分は何なんだ?


実は、まだパンフを読み終えていないんです。
なので、後で気が変わってこっそり直すかも^^;

by k-mia-f | 2012-03-25 21:14 | 演劇 | Comments(0)
『サド侯爵夫人』@世田谷パブリックシアター(3/14)

作/三島由紀夫
演出/野村萬斎

出演/
蒼井優(ルネ)
美波(アンヌ)
神野三鈴(シミアーヌ男爵夫人)
町田マリー(メイド)
麻実れい(サン・フォン伯爵夫人)
白石加代子(モントルイユ夫人)




最初に申し上げておきますが、私的にはイマイチな舞台でした。素材はいいのに組み合わせが悪い感じ。
”ぶり”と“大根”はすきだけど、“ぶり大根”は好きじゃないみたいな・・・ちょっと違うか。
う~~ん 一言でいえば“ばらばら”

セットは石造りの塔の中のよう。中央に円卓っぽい舞台、質素な机と椅子、蝋燭のない(灯りのない)シャンデリア。
モントルイユ邸というより、ヴァンセーヌを連想。
私は前の方の席だったので、奥の方が見えずわからなかったのですが、パンフの写真を見ると能舞台風のセットのようです。
下のパンフ写真だとわかりにくいと思いますが、石造風壁の左右に出入り口があり、そこから円卓舞台まで橋掛かりようのうなものが見えます。
やっぱり、観劇は後方の方がいいですね(好みの問題ですが)。私は1回だけの観劇なので、表情が見えなくても舞台全体を見ることができる方がいいかな。





床近くまで下ろされたシャンデリアを、シャルロットが重そうに引き上げる場面かから始まりました。2幕目も同様の始まりだったので「幕開け」の意味と思っていたのですが、3幕目は下りたままだったので「どんな意味が含まれていたんだろう?」と観劇後に気になり、ブログ巡りしてみたところ、なるほどと思う解釈がありました。
「人々の念頭にあり、気づかぬふりをしているもの」で「シャンデリア=サド公爵」という解釈。私は気付かなかったのですが1幕目と2幕目ではシャンデリアが上がる位置が違っていた、低い位置になっていたとのこと。モントルイユ夫人が”特別”と思っていたサド侯爵が特別でないとわかった2幕、サド侯爵を利用しようとする3幕も説明がつく解釈だと、感心と同時に気付かない自分に“がっくり”。


**********


1幕目の麻実さんと神野さんのやりとりは、台詞がちゃんと頭に入るし、イメージにも合ってると思うし(特に麻実さんには惚れ惚れ!)、期待できるかもと思ったのですが、白石さんの登場で“がっくり”
何が“がっくり”かって、何なんだあの衣装は??

キャラクターのイメージに合わせた衣装なんでしょうが・・・
ロココ風の衣装にしてほしいわけではなく、現代風でも和風でも中東風でもいいんですが、統一したものがほしかったんです。
前回、加納さんの世話物っぽい台詞回しの庶民的イメージのモントルイユ夫人が気になったんですが、今回の白石さんは、癖の強い衣装と台詞回しから『百物語』を観ている気分。
なので、蒼井さんとのやりとりは噛み合ってないとういうか・・・“ばらばら”。
別々の演出の『サド侯爵夫人』からモントルイユ夫人とルネの映像をとりだして合わせたみたいに感じました。

私的に問題の衣装なんですが、サン・フォン伯爵夫人はロココ風ドレスの下にレザーパンツとブーツ、スカートは中央でまくってガーターベルトで止めてる・・みたいな。
シミアーヌ男爵夫人はロココ風ドレスの下に黒のロングタイトスカート。ドレスの下というより、スカートの上にオーガンジー(多分)のスカートの方がいいのかな。
アンヌは短い黒のパニエ(?)の上にオーガンジー(多分)の中央から開くスカート。
ルネはグレー基調の、パニエでスカートが横に広がった最も普通のドレスで、モントルイユ夫人は和服風ドレス。
1幕目はモントルイユ夫人だけが浮いてる感じでしたが、2幕目以降のアンヌの超ミニスカート(黒いタイツをはいていても見上げる席だと目のやり場に困りそうな)で完全に“ばらばら”
母娘三人の場面、違う個性を表現しているんだろうと思うのですが、観ていて頭が疲れました。


ルネは・・・可愛らしすぎたかな。
映画みたいなメイクは無理だけど、もう少し老けて見えるようできなかったのかなと3幕目。ちょっと髪が"ぼさぼさ”になったくらいじゃ、蒼井さんが可愛らしすぎて流れた月日を感じられなかったです。


**********


飾りだらけの台詞の長時間の舞台ですが2幕目までは疲れを感じず(衣装以外は)あっという間に過ぎましたが、3幕目が始まる前に地震が発生し、状況確認のため開演が遅れたことで“ぷつっ”と私の緊張が切れてしまって、3幕目が長く感じました。これは前日から私の体調が悪かったことが原因だと思います。席に座っているのが急に辛く感じてきて、全身がむずがゆい感じがしてきて、台詞が頭に入らなくなってきました(泣)

満足な舞台ではなかったけど、麻実さんのサン・フォン伯爵夫人を観ることができたので遠征の価値ある舞台でした。



**********


客席には長塚圭史さんと鈴木浩介さん。
多分だけど。
って、皆さん気にしてない様子なんだもん。
首都圏の皆さんは慣れっこなのかしら??

3/14はコクーン休演日だし。
席は離れているのに休憩時間にお話してたし。
違っていたら、何度も振り返ってごめんなさい。
(ここで誤っても仕方ないけど)
by k-mia-f | 2012-03-18 21:32 | 演劇 | Comments(0)
『90ミニッツ』@りゅーとぴあ劇場(2/4)


作・演出/三谷幸喜
出演/西村雅彦(事故にあった少年の搬送先の医師)
     近藤芳正(事故にあった少年の父親)

この父親を思い出す映画を観て、今更だけど書いておこうかなって思いました。


【パルコ劇場公式HPより】
今回のテーマは「倫理」です。それぞれがそれぞれの立場で「正しい」選択をしなければならない。しかし、それは一方から見れば、「やってはいけないこと」であったりします。例えば、職業であったり、あるいは宗教や、家の家訓、国のイデオロギーの違いでも起こりうること。しかし、時と場合によっては、その「倫理」を越えたところで、行動しなければならないこともあるかもしれません。三谷幸喜が描く二人の男性がそれぞれの「倫理」、つまり「立場」からぶつかり、葛藤する男二人が言葉でぶつかる会話劇です。


***********


最初に、ここに書く台詞は正確ではありません。パンフ未見なので的外れな点もあるかも。

今回は粗筋や上記のテーマ、世間の評判も調べずに観劇しました(苦労して確保したチケットなのに、すっかり忘れてたんです)。
二人芝居ということとタイトルから、90分のガチ勝負舞台なんだろうなぐらいの想像で会場入り。
セットはシンプル。
机と椅子とカーテン(診察室をイメージしてください)。
音楽はなし、最近流行の(?)凝った観劇マナーのお願い等もなし。
開演して最初にスクリーンにタイトル表示、次に「実際の事件を元にしてますが、特定の団体・・・」とお断りの表示されました。映画みたい。この時点では配役等全く知らないので「実際の事件って何だろう??」と思ってました。
先に舞台に登場するのは電話中の西村さん。何やら建売住宅(?)の話のよう。この時点では白衣を着ていなかったので、医者とはわかりませんでした。その後、近藤さんが登場し、西村さんが白衣を着て、この辺りでやっと「医者の患者のお芝居なんだな」と。
先に進むにつれ「もしや、事件ていうのはあの宗教・・?」と思ったあたりできました、近藤さんの台詞「手術に反対なのではなく、輸血なしで手術をお願いしたいんです」

「事件」というのは、交通事故にあった小学生が「エホバの証人」信者の両親が輸血拒否をしたことにより亡くなった・・・という事件(かなり大雑把な説明です)。
タイトルの「90分」の意味は、お芝居の中の少年が手術を待てる猶予時間・・・というか父親を説得する時間。同意書に父親がサインをしないため、手術の準備はできているのに手術ができないのです。西村さんは病院の整形外科の副部長、セットは副部長室、医師は同意書のサインを求め父親を説得しようとします。

**********


お芝居では輸血拒否の理由を「宗教」から「土着信仰」へ変更しています(観劇後に読んだブログ等で「宗教上の理由」と書いてる方を多く見かけましたが、私はちょっと意味合いが違ってくると思います)。

舞台前方中央に、上から水が滴りおちています。限られた時間を表す砂時計と解釈して観劇していましたが、途中で少年の命を表していることに気付き(両方もしくは他の意味もあるのかもしれませんが)、透明の水が赤い血液に思えて不気味に感じました。

当日チラリと「面白いとか面白くないじゃなくて嫌な気分」と書きました。現在も「嫌な気分」というのは変わりありませんが、「面白い」舞台でした。面白いのに何故嫌なんだろう??
「笑いが起きたこと」に対して不愉快と書きましたが、この事が理由ではない気がしてきたことや、他の方が書いてるような「輸血拒否事件」を題材にしていることに対してや、少年の命を軽視した不謹慎な内容とも思っていません(フィクションですから)。
ブログ巡りで尚更わからなくなってきました。

**********


医師は輸血が許されない理由を訊ね、その価値観を頭から否定するのではなく、別の見方を教えます。二人のどちらに共感できるかといったら医師ですが、父親の言い分に尤もと感じる点もあり、この「尤もと感じる点」を医師がどう説得するのか、前半までは二人の論戦を心の中で頷きながら聴いていました。
肝心の理由ですが、
輸血が許されない理由ですが、大雑把に説明すると死後に生まれ変わることができなくなるから。父親にとって「現在の親子関係である“生物”としての死」より「生まれ変わることによって続く“信仰”の生」が大事なんです(う、うまく説明できない)。

“嫌な気分”を感じたのは後半、父親が「輸血には同意する、しかし同意書にはサインはしない。あくまで病院側が勝手にしたことにしてくれ」と言い出した辺り。術後に訴えるという父親の言動に客席から笑いが起こりましたが、私は呆れてしまって笑えなかったのです。これが”嫌な気分”の原因がなと最初は思いましたが、現在はそう思いません。ここで二人の立場が逆転して、父親が医師を説得する側にまわるんですが、この流れは面白いと感じました。「何でこうなるんだ?」という医師の呟きは、重いテーマで場面転換のない90分の折り返し地点でちょっと息抜き。
何がそんなに嫌だったのか?? この辺りから論戦がつまらなくなった気がします。
父親は同じ内容を繰り返すだけで、流行の(?)モンスターになっていました。
少年は刻々と危険な状態となっていくなか、二人の会話は論戦というより喧嘩になってきました。信仰とか、親子愛とか、信念とか、義務とか、権利とか、あと何だ?? そんなのどーでもよくて、意地の張り合い。
最後は命がギリギリのところで医師の方が折れて、サイン無しで手術をすることになりました。最後に父親が「あと3秒遅かったら、サインしていました。3秒親としての愛情が負けたことを悔やむことになる」とくる。
ラストが決まったけど、中間を考える時間がなくて投槍になった感じ。


三谷さんは次から次へと面白いアイデアが浮かび、早くださないと頭の中が一杯になって破裂寸前になってしまうんでしょうか?命を危険にさらすようなら仕方ないけれど、そうでなければ、生誕50周年を記念して何作も書くより、記念に残る1作を書いた方がよかったのでは?私は『ペッジ・パードン』と『90ミニッツ』のみですが、両作品とも”締め切り間際のやっつけ仕事”を感じます(『ペッジ・・』は2回遠征して大笑いしたお芝居ですが)。
『ペッジ・・』は3.11後に喜劇に方向転換しているので途中無理がでてきたのかなと。時間の余裕もなかっただろし。三谷さんの気持ちもわかるので、浅野さんのコント女装で笑いをとるのは反則技じゃないかとか、いくらなんでも大泉さんの嫉妬の理由があれだけかいとかあっても、大笑いしたし大目に見ましたが(お前は何様かって感じですが)、今回はちちょっとなぁ・・・ホントにこれで満足ですかと聞きたい気分。

**********


先に申し上げておきますが、感想の批判をするつもりはありません。感じ方は人それぞれですから「そっかなぁ、私はこう思うんだけどな」という軽い感じで。

母親が病院に駆けつけず、自宅から電話で父親に指示することや、他の病院を探すことに「そんな母親はいない!」と感じた方は、人の出入りが多い交通の便がいい首都圏にお住まいの方かなって思います。
少年は自宅の住所がわかるものを身に着けていたのですぐに母親に連絡がとれ、母親から父親へ連絡。事故の発生時間から病院での説得までの時間を考えて、交通の便が悪い地域の自宅に母親が残っているのは十分ありえます。今回は“普通”の田舎ではなく“よっぽどの”田舎だから尚更。

少年が事故に遭ったのは、朝食のおにぎりをホテルから出たときです。少年には初めてのコンビニです。そして、少年がホテルに泊まっていた理由は、父親が同窓会で上京(東京だったかあやふやだけど)するのに一緒についてきたから。少年は自宅の住所がわかるものを身に着けていたのですぐに母親に連絡がとれ、母親から父親へ連絡。交通の便が悪い"普通”に田舎からでも直ぐに駆けつけることは難しい
今時コンビニを見たことが無いくらい(“普通”の田舎なら車で街へでる)、こんな理由でもない限り上京する費用・移動時間がない(“普通”の田舎なら親子3人の家族旅行では?父親が同窓会にでている間は母子で観光とかさ)、よっぽどの田舎から駆けつけるなんて無理!電話の様子から狂信的なイメージを受けたし“あーいえばこーいう”なところは呆れつつ面白いと感じましたが、最後は可哀想に思えてきました。

父親が息子の命が助かったこと(助かるはず)を喜ばない点にも納得できます(ここまでの過程が嫌だけど)。子供の頃に刷り込まれた価値観を変えるのは難しいです。自分が間違っていると感じても変えられないことって誰でも何かしらあるんじゃないでしょうか?私はありますけど・・・少数派なのかな?一度は親子で生きることを諦めたのに、うらまれても親子で生きることを選択しただけで父親の愛情を感じます。いい言葉がみつからないのですが、喜びと不安が半々ってとこでしょうか?




結局「何がいいたいんだ??」になってしまった.。

感激後に協賛の岩塚製菓さまより御土産をいただきました♪
新商品の塩キャラメル味・・・こちらも「今頃塩キャラメル?」という気もしますが、美味しくいただきました♪
by k-mia-f | 2012-02-19 21:33 | 演劇 | Comments(0)
りゅーとぴあ劇場バックステージツアー(2/12)

寒いけど青空だから気持ちい~~
冬の"りゅーとぴあ”です(木で隠れてるけど)
大きな公演がない日なので駐車場で困ることないだろうと、図書館でスープをいただいてたらギリギリの時間になってしまいました(でも撮影した)。


**********

以前、3ホールツアー(コンサートホール・劇場・能楽堂)に参加したことがありますが劇場のみは初参加です。劇場のみのツアーは3ホールツアーで見学できない場所も見学できるとのことで、いつか参加してみたいなと思ってました。気になっていた演出もあるし。

最初に舞台の構造や仕込みの説明。映像を使用して下準備からリハーサルまでの流れの説明を受けました。オケピをつくるのに前列の座席を移動させる映像がおもしろい。

ここって歌舞伎に対応できる劇場だったんですね。
3ホールツアーでも説明があったとは思いますが(HPを見たら写真が紹介されてたので)全く覚えていませんでした^^;、テアトルで「女殺油地獄」を観劇した際、ぎゅうぎゅう詰めな感じでがしましたが、りゅーとぴあなら十分な大きさな気がします。新潟で歌舞伎というと県民会館なんですが、りゅーとぴあで公演してくれないかなぁ・・・新潟だと1日だけだし、客席数違いすぎて無理か。


続いてSEの説明。スタッフ方が考えた朗読劇(?)に効果音を入れます。機材の体験はちびっこにお任せして、私はワイヤレスマイクをつけて舞台で台詞を一言。

紗幕と照明をバトン(昇降装置)に取り付けます・・・といっても簡単なとこだけですけどね。
紗幕を結び付けるバトンは“するする”と上へ。紗幕の向こう側(舞台奥)にスタッフの方が立ち、照明を当てると透けて見える実験(?)です。観る機会が多い演出だけど、真近で見るととビクッとします。
照明は大きさの割に軽いです。照明のフックをバトンに掛けた後(物干しにハンガーを掛けるみたいに)。ネジで固定し(家具の店頭防止に使用するつっかえ棒みたいなネジ)、さらに万が一の時の為に命綱みたいなワイヤーについたフックをバトンに回してから照明に掛けます(うまく説明できなくてすみません。取付け後に撮影すればよかった)。








上手舞台袖の様子。
バトンの上げ下げ等を行う機材は下手側にあります(すいません撮影してない)
天上はかなり高い。


次に調光室・音響調整室・フォロースポット室の見学と体験。調光室と音響調整室は2F後方なので簡単に行けますが、フォロースポット室はエレベーターで4Fへ移動し(劇場入り口は2Fです)天井が低い場所(3Fバルコニー席の上)を歩くのでヘルメットを着用して行きます。
フォロースポットは熱が出るので片手だけ軍手を着用します(腕を火傷することもあるそうです)。実際に操作してみると舞台上に立っていいるスタッフにうまく当てられません。
歩かれたた尚更で、歩いてるスタッフの後ろを追いました^^;
すいません・・・このフォロースポットも撮影忘れました。






続いて楽屋の見学。ここは自由行動だったので、萬斎さんと仲村トオルさんが使用した楽屋4へ直行。
ソファーにすわってなでなで。





シャワー室は女性用(誰もいなくても男性用はちょっと。お手洗いと一緒だし)



大部屋の楽屋でのサイン展示。
第1回目のりゅーとぴあ劇場狂言ご出演の際の万作家のみなさまのサイン。
狂言に興味をもつ前なので舞台は未見。
今更遅いけど、もっと早く狂言に目覚めたかった。

サインといえば、コンサートホールの楽屋の壁は演奏者や指揮者のサインでびっしり。クラシックファンは一度は3ホールツアーに参加することをお奨めします。




続いて奈落へ移動し“せり”で舞台へ上がります。
奈落は道具置場なので、入口を入る前から資材の木の匂いがします。
舞台に上がると緞帳が下りていて、最後は女優気分でカーテンコール体験。ライトがまぶし~~ ちょっと女優気分でお辞儀をしてみたかったけど、県民性か展開に戸惑っているからなのか(大拍手の効果音付)皆さんおとなしい(ワークショップじゃないしね)。



最後に質問コーナー。
時間が押してたためか、挙手する寸前にきられちゃって^^;、
でも終了後に気になってた事を教えていだだきました。
気になっていたのは、『血の婚礼』で使用した大量の水をどう処理してたのかということ。
答えは、セット下にプールが用意してあって(そーいえば舞台が高い位置にあった気がする・・かな?気付かなかった)、溜まったプールの水を吸上げ循環させていたそうです。
なので、私が思っていたより使用した水は少ないとのこと(それでもかなりの量だと思いますが)
なるほど~~ 
by k-mia-f | 2012-02-13 20:52 | 演劇 | Comments(2)
劇団AUN『十二夜』@赤坂RED/THEATER(1/18)
AUN公演は前回の『ヴェニスの商人』に次いで2作目。なんだかんだと感想を書いていないのですが「初演当時はこんな風に、あまり同情できないシャイロックだったんだろうな。」と思いまた。この時“直球”と書いた理由の一つです。

というわけで、
『十二夜』はもっと単純に楽しい物語なので、大いに期待しておりました。
正直、喜劇といってもやり過ぎではないかと感じる場面もありましたが(コントみたいだな)、山本東次郎家と茂山千五郎家の狂言両方OKな私ですから、なんだかんだといいつつOK
(一部の方にしかわからないですね^^;同じ大蔵流の狂言の家ですが、芸風が真逆なんです。)

う~~ん
マルヴォーリオが偽ラブレターを読む場面は正直やり過ぎかなって思いました。
最初は迷彩服のファービアンだけマルヴォーリオの前に姿を現しても見えていなかったので、迷彩服はお屋敷のお庭にある樹木の保護色で見えないとういう意味なのかと思っていたのですが(気付くよう目の前に手紙を持ってきたり)、最後は隠れていたはずのトービーとアンドルーも出てきて騎馬戦状態。この時、マルヴォーリオの肘が“ぐりぐり”アンドルーに当たるの痛そうで、悪戯トリオが舞台に再登場する際「あ~重かった(痛かった)」という素振り。この流れは笑いつつもやり過ぎと感じ、やり過ぎと思いつつも爆笑でした^^

アンドルーを谷田さんというのが意外!
劇団員で存じ上げてる方が少ないので(ごめんなさい)、誰に演じてほしかったおいうのは特にないのですが谷田さんは私の中ではムーア人武将なので「ぼくはぁ」とか「・・なり」とアニメキャラ(キャラ名が思い出せない)みたいな話し方の人物にピンとこなくて、賑やかメイクと衣装の姿には呆然です(笑)

セットはブルーシートで半分隠れた満月、絶対に二人も隠れららない枯木、洋服箪笥みたいな物。
箪笥のように見えるけど勿論箪笥なわけはなく、上に書いてある「厠」の文字が気になりますがトイレなわけないし・・・・
と思ったらトイレでした(笑)観音開きの扉が開くと、飲み過ぎトービーが和風トイレとお友達。

この「厠」が手品の道具みたいに、扉を開ける度に設定が変わります。
ヴァイオラが流れ着いた海岸だったり、ファービアンの部屋だったり。
でも、ず~っと和風トイレが残っているので「アヒルおまるなら直ぐ片付けられるのに」なんて思ったり、アンドルーVSセバスチャン(シザーリオと間違って)のスリッパ叩き合いに使われたのはトイレのスリッパなのかとか、ピンクはオリヴィアの趣味だろうかとか(お幾つのなのかしら?小柄で可愛らしい女優さんです)、しょうもないこと考えてしまいました。低レベルな観客ですみません^^;
低レベルついでに、
今日T・ジョイで大きい”ドラえもん”の飾りを見て、あの「厠」はのび太くんの引き出しだったのかと思ったり・・・^^;

ヴァイオラ(シザーリオ)は凛々しかったです。
シザーリオに決闘を申し込む(というより申し込まされた)アンドルーに、トービーがシザーリオの剣の腕前を説明する台詞が「阪急電鉄のお抱えの剣士」(小田島版“ペルシア王のお抱え剣士でけのことはある”のとこ)に場内爆笑。
オリヴィア役の根岸さん、前回はジェシカ役だったと思います。ジェシカからオリヴィアっていうのがピンとこなかったんですが、この台詞の後だとオスカルを慕うロザリーみたいに思えてきて、この配役でよかったと思ってしまいました(す、すいません低レベルで(汗))

先に観劇された方の感想を拝見すると、細かい部分が大分変わっているみたいです。
A・B両キャストで観たかったな。
今日は楽日。
大いに盛り上がったでしょうね。

**********

当日は迷子遠征でした。

千五郎狂言会の予約日と重なったので、いつもは終点の池袋駅までバスで行くところ途中下車して予約の電話をして、西武新宿駅(またはJR新宿駅)で早めのお昼をいただいて、赤坂サカスを見学して(まだ行った事ない)、それから会場へ向かうつもり・・・
でしたが、予定通り進んだのはお昼をいただいたとこまででした。
西武新宿駅からJR新宿駅を目指したのですが何故か辿りつけず(JRから西武は歩いていけたので大丈夫だと思ったんですが)、ここで予定より多く時間を使ってしまったのでサカス見学は次の機会にすることにして、新宿駅地下で“ぶらぶら”してから開場時間に合わせて赤坂見附へ移動・・・したつもりなんですが、赤坂見附の出口がわかんなくて(2回目だから大丈夫だと思ったのに)、なんとなくわかる出口(交番に近い出口)から歩きました(私は普段良く通る道でも、逆方向だと通り過ぎることが度々あります。)

帰りのバスまでかなり時間に余裕があるので、シネマート六本木で1本"補給”することにしたのですが、ここも迷ってしまいました。
ここは初めていく映画館ですが。駅から近いし携帯サイトに詳しい道順があったので迷うことはないと思ったんですが、近くまで来ていることは確かだけどどこにあるのか“ぐるぐる” ちゃんと予告上映前に入場できたのですが、ちょっと焦りました。
観劇や狂言で遠征するついでに、新潟での上映予定がわからに作品を観にいくことが多いのですが、レディースDの映画館が重なるときは重なるし、重ならないときは重ならない(当たり前か^^;)この日は重なった日で、どれにしようか迷った日なので、ここを選んだことをちょっと後悔。無事に予告上映前に入場できたけど、あんまり好みの作品がきてほしくないです。
帰りは迷わず駅に着いたけど、次に行く機会があっても駅から劇場へは直ぐに辿りつけない自身があります。
by k-mia-f | 2012-01-22 20:48 | 演劇 | Comments(2)
本音

私は関係者ではないのですが、RNS『ペリクリーズ』の評価が大変気になります。
もともと観劇動員数が多くはないので、ブログで検索しても記事件数は少なく、ツイッターで検索した感想をいれても多くはなく・・・
一体何がそんなにきになるのかと申しますと、“鏡板を地図で隠したこと”を能楽ファンがどう評価しているのかが気になるのです(しつこい)。
新潟公演での感想は、普段能楽をご覧にならない方が多かったようななので、それで同意見の方がいなかったのかもと(客層は若者ばかりだったし。出演者の御友人が多い?)、東京公演の後なら気持ちをわかってくれる方が見つかるかもと思ったんですが・・・。
能楽ファンらしい方の記事を見つけたんですが、満足の御様子。
寂しい・・・。
いつもは自分と反対の感想を好んで読むんですが(特に映画は)、今回は凄く寂しい気分です。
誰もそんなこと言ってないのはわかってるけど、それでもRNSは観にいっちゃいけないような、また一つ居場所がなくなった気がします。

「個人的には合わない演出だったけど、東京公演で好評だったら嬉しい」
というようなこと書きましたが
本音は、飾りすぎの能楽堂とか、西遊記みたいな衣装とか、棺を開けるときの効果音とか、マスクとか(面ではない)、
うるさ~~い じゃま~~ 怒ってました。 
これで目の超えた(劇場も劇団も多い)都内の観客は満足できるのかと密かに心配してましたが、余計なお世話だったようです。お前は何様だって感じですね。




私は職場も自宅も好きじゃないんです。
まっすぐ出勤できないし、まっすぐ帰れない。

最近はウインドの上映時間が合わない作品が多いし(昼間だけだったり)
大事な作品が3Dになっちゃったり(『切腹』と原作が同じ『一命』とか)
図書館の閉館時間が早まったり(これは戻ったけど)
演奏会で男性に睨まれたり、
文楽で「お静かに」と注意した女性に睨まれたり、
予告上映中にバームクーヘンの袋を開けたら前の席の男性が席を移動したり、
いつものミスドが香水臭くなったり(自動ドア開いた瞬間にわかる)
狂言会は仕事で駄目になっちゃうし、

・・・どんどん居場所がなくなってく気がする。

すいません。
ただの愚痴になってしまった。
研修続きと、中間決算の余計な仕事と、何でこんな時にな事が重なって
疲れてるんだと思います。




能楽堂にいると落ち着きます。
能楽だけでなく、文楽の講座とか、演奏会などでも会場が能楽堂だと“ほっ”とします。
“ほっ”とするといっても、”だらん”とした緩い感じではなく、緊張してるのに気持ちがいい(高揚とも違う)んです。何故だか自分でもわかりません。
なので、
6月の『奇ッ怪』のプレシアタートークで、出演者の皆様が靴を脱いで舞台に上がったことが嬉しく感じました(靴のままでだも大丈夫なように敷物がしいてあるのに)。


(写真は『ランコントル パー ラ・ターブル』さんの秋の新作“ポワール”サービスのコーヒーがホットに変わりました。秋だなぁ・・・ )



by k-mia-f | 2011-09-27 07:11 | 演劇 | Comments(0)
『ペリクリーズ~船上の宴~』@りゅーとぴあ能楽堂(9/8)

りゅーとぴあ能楽堂シェイクスピアシリーズ第七弾 

作/W.シェイクスピア
翻訳/松岡和子
構成・演出/栗田芳宏

出演/
柄谷 吾史(ペリクリーズ)
田上 真里奈、西村 大輔、
山賀 晴代、荒井 和真
永宝 千晶、星野 哲也
岡崎 加奈、大家 貴志
栗田 芳宏(ガワー他)




正直、シリーズ中、初のがっかり作品でした。
37作品、全て同じスタイルで通すのは無理があると思いますが、今回はコンセプトから外れているように感じました。
会場でのアンケートにも書きましたが 「KURITAカンパニー」の公演なら“満足”だけど、「りゅーとぴあ能楽堂シェイクスピア」の公演では“不満”です。アンケートの満足度4段階中下か2番目なのは平均値。

だけど、ブログの感想を読むと概ね好評のようで、「私が不満に思った点」が“良い”という感想ばかり、私が少数派のひねくれ者のようです。

**********

会場入りして目を疑ったのは鏡板を隠す様に張られた地中海近辺の地図(ペリクリーズが旅した土地の地図)。同じ幕が地謡座にもはられていて、美しい能舞台が無残な姿になってしまいました。「和」の空間で「和」を否定しているように感じました。これなら揚幕も隠しちゃえばいいのに。ペリクリーズが切戸口から退場するのを隠す以外の目的は何でしょう?
後座と地歌座には楽師がずらり。「船上の宴」にはぴったりな気がします。
こんなこと思うのは、私が「能舞台」が好だからでしょうかね。
重箱の隅の話ですが、松と竹を隠しておいて会場で渡されたパンフに竹が描かれているのも気に入りません。それと、能舞台は正面と脇正面で印象ががらりと違うものですが、今回は大差ないように感じたので1回だけにしました。

私は時広さんの衣装が好きだったので、担当が代わったことも気掛かりでしたが、“思っていた心配”はなかったので“ほっ”としました。
でも、時広さんの衣装は「和」が入っていても無国籍な雰囲気を感じましたが、今回は中国風(西遊記の頃)に感じて好きではありません。
ペリクリーズとタイーサのダンスの場面では、中国人が北アフリカでフラメンコを踊っいるように感じました。


演出で好きなのは、栗田さんの役の切替。
正面と脇正面に並べられていた6個のコーン型の“物”がが何なのか不思議に思ってましたが、中に被り物が隠されてました。王冠などの役に合わせた被り物。栗田さんはガワーの他に6役を演じますが、衣装はそのままで被り物だけ変わります。
崩した“コーン型の物”は手紙等に使われたので、落語の手拭いみたいだなと思いました。私が「和」を感じたのはこれくらいかも。

**********

応援する気持ちに変わりはないので次回作も観にいくと思いまが、この系統が続くのは個人的に嫌だなぁ・・・。

拍手はしましたが、あまり心がこもってません。一応って感じの疲れない程度です。
(6月の四季ヴェニスには拍手なしです)

明日から東京公演。
個人的には好きな演出ではなかったけど(しつこいですが)
好評だと嬉しいです。なんか矛盾してるけど。
by k-mia-f | 2011-09-21 22:08 | 演劇 | Comments(0)
白石加代子「百物語」シリーズ第二十九夜@りゅーとぴあ劇場(9/20)


構成・演出/鴨下信一
出演/白石加代子



第93話 お文の影
第94話 ばんば憑き





宮部みゆきさんの新作2本立て。
原作未読(とういうか宮部作品は1作も読んでいませんが)で鑑賞。

いや~ 面白かった!

老若男女を演じ分け、一人で舞台で2時間。
小道具、効果音は最小限。
江戸怪談というと“播州皿屋敷”くらいしか思いつかないのですが(先月のガレッソ寄席での落語も頭に残ってるし)、「怖い」というより「哀しい」イメージ。

そして、イメージ通りの作品でした。


とくに『ばんば憑き』は凄かった!
物語の世界へ、宿の一室へ引き込まれます。
若旦那と一緒に生唾ゴクリ。



このシリーズは2回目。

朗読会のイメージでピンとこなかったんだけど、
もっと早くに気付いていれあなぁと思う。
もう何話も残ってないもの。

by k-mia-f | 2011-09-21 07:13 | 演劇 | Comments(0)
『奇ッ怪 其ノ弐』@りゅーとぴあ劇場(9/6)

~現代能楽集Ⅵ~
作・演出/前川知大
出演/
仲村トオル(山田)
池田成志(橋本)
小松和重(曽我)
山内圭哉(矢口)
内田 慈、浜田信也、岩本幸子、金子岳憲


【あらすじ】
数年前、地震による地割れと地滑り、地下からの硫化水素ガスの噴出という災害に見舞われた山間の村。多くの住民が亡くなり、生き残った住人も去り、廃墟となった村に、神主の息子(矢口)が戻ってきた。理由は、最近父親の霊の夢を見る意味を知りたかったから。
社には男(山田)が住み着き、口を利かない浮浪者の様な者(亡霊)がうろついていた。
山田は立ち寄った村の再開発計画中の業者(橋本)と、地質学調査(曽我)と矢口の三人に物語(昔話)を語り始める・・・(参考:パンフ)



今頃ですが(のろのろ)。

前作『奇ツ怪~小泉八雲から聞いた話』が好評だったこと(未観劇)、『抜け穴の会議室Room.№002』が面白かったので期待して劇場へ。
『抜け穴・・』のロータリーみたいな“ぐるぐる”したセットも面白いと思いましたが、今回も好みの雰囲気。廃墟の村にる社なんですが、能舞台を意識したような形(キザハシ(階)と橋掛かりみたいな通路)と“ぼこぼこ”と橋掛かり部分に4つ、本舞台部分に2つ、奈落へ落ちる穴。通路は奥の方が狭くなっていて(多分)、両脇に天井まである断崖のような壁があり、実際より更に奥行きがあるように感じます。


『抜け穴・・』は輪廻転生の物語でしたので“ぐるぐる”セットは何度も生まれ変わってきたず~っと昔からの“記録”(自分の前世が書いてある本が登場するので)のようなものかなと考えていたので、今回の“穴”はどういう意味(というかイメージ)かなと考えながら開演を待ちました。珍しく東京公演の感想を読んでいたので、最初を見逃さないようにしなくっちゃと思っていたのに、珍しく公演前にかったパンフ(休憩時か終演後に買うことが多いです。面白かったら買うみたいな)が気になって仲村さんを読み終わって顔を上げたら、亡霊が登場していました。どこから登場したのかわかんなかった(泣)いつの間にか始まってるというのも能楽っぽいってことでしょうかね^^;


能楽演目を現代風に演出するのではなく、現代劇を能楽風(夢幻能)に演出されていて、能楽に興味がある観客はには随所に“ツボ”があり、かといって能楽に全く興味のない方でも楽しめる舞台でした。
能面を連想する“白い面”をつけた亡霊たちの“ゆっくり”とした動きは、能の所作・型のようです。この亡霊たちの動きをもっと注意して観ておけばよかったと少し悔しい。
亡霊が足の裏を払う動作を“矢口”が真似する場で笑いが起こりました。私も”ぷっ”となりましたが、意味を知ったとき何ともいえない気持ちになりました。亡霊たちの“謎の動作”は生前の“日常の何気ない動作”だったんですね。

**********

山田の語る昔話は「生と死」をめぐるもので、内容を簡単に説明すると
①事故死した息子の臓器を移植した相手を探す母親
②「暴行されてる男」を見て見ぬ振りした事に罪悪感を持つ男
③鬱病による自殺で妻を亡くした夫
④震災前に、祭り準備で境内に集まった人々
・・・って、とこでしょうか(すごい大雑把ですが)
山田の物語は「死者の言葉」
語ることが「鎮魂」

亡霊が白い面を取ると、スイッチが切り替わって物語の登場人物になります。
どれも楽しいエピソードではありませんが、笑いが散りばめられています。
散りばめられているというより「悲」と「怖」の間に「笑」が挟まれているが近いかな?
能楽でいうと「初番目物」と「二番目物」の間に「狂言」みたいな。

**********

父親の霊の夢をみたことから矢口は故郷へ戻ってきたのですが、夢を見させたのは山田ではないかと思います。山田は神社に祀られてる神様だと思います。神主さん(父親)が立派なお供えをして祀っていたので、ちゃんと成仏させてあげたかったんじゃないかと。神主さんや他の村人が言い遺したこと(何があったかを)を伝えるために、矢口(息子)を村へ戻すために夢をみさせたのでは?
山田の「今日は矢口君がいるから(橋本と曽我が)気付くと思ったんだけどなぁ」という台詞で思ったことです。実は、橋本と曽我は「死んだことに気づいていない霊」だったんです(これを物語の一つと見ると、五番立能っぽくて丁度いい気がします)。
白い面の亡霊と違い、人間のようにしか見えないけど、震災の日から先がないので、何度も出会いの場から繰り返し。
最後に、境内の村の人々と神主さんが成仏して、祭り準備の痕だけ残った。今まで見えなかったのは「夢幻」の境内だったから・・・というのが私の解釈です。

“穴”のイメージですが・・・
う~ん「未練」でしょうかね・・・?「未練」が残っているから成仏できなかったわけで。
何度も何度も穴から出てくることを繰り返すのも、穴に落ちた人(死)も。

**********

6月末に開催された“りゅーとぴあ”でプレシアター・トークで、全体像すら決まってないようなことを仰っいて(多分、もしかすると全体像はできたけど脚本がまだってことかも)一ヶ月で初日なのにと驚きましたが、観劇後は「一ヶ月でこれだけの作品が作れるんだ!」と更に驚き。
今回は後方席の方が当たりかも。



死者がいる。
この世にいないものを死者と言うが、死者がいる、と私達は言う。
過去、と言い換えてもいい。かつてここにいたのだから。

それは数百年昔に生きた佳人であり、昨日のあなたでもある。
能の物語には多くの死者が現れる。
彼らは詠い、舞い、語りかける。
言い残したことがあるからだ。

同じように私達も、常に誰かに何かを言いそびれている。
言い残された言葉たちは、心の中で行き場を探している。
物語にできることは、そんな言葉を拾い上げることだろうし、
私達にできることは、その言葉に耳を傾けることだろう。

もし友人が席を立たないなら、まだ話が残っていると思った方がいい。
同じように、目の前に死者が現れたなら、逃げ出さずにこう言うべきだ。
「話があるなら、聞きますけど」

奇ッ怪 其ノ弐が語るのは、「能」と「狂言」から着想を得た、
言い残された言葉たち.


(りゅーとぴあ作品情報より)

by k-mia-f | 2011-09-19 03:42 | 演劇 | Comments(0)
『ベッジ・パードン』@世田谷パブリックシアター(6/8、7/27)

シス・カンパニー公演

作/演出 三谷幸喜
 
野村萬斎(夏目金之助)
深津絵里(アニー・ペリン=ベッジ:下宿の使用人)
大泉 洋(ソータロー:ロンドン駐在商社マン)
浦井健治(グリムズビー:アニー弟)
浅野和之(下宿の主人ほか英国



【あらすじ:シアターガイドより】
文豪・夏目漱石が、明治政府からの命を受け、文部省第1回給費留学生として、英国・ロンドンへと旅立ったのは、明治33年(1900年)のこと。出発直前まで、熊本第五高等学校(現・熊本大学)で教鞭をとっていた漱石(本名:金之助)は、この時すでに33歳。身重の妻・鏡子と幼子を残しての2年間の単身留学は、大きなカルチャーギャップと生来の神経症的な性質もあいまって苛酷極まりないものであった・・・・・・という定説だが、彼がロンドンで綴った文章には、度々<ベッジ・パードン>なる女性が登場する。下宿の使用人だっという実在の女性は、孤独な留学生・漱石にとって、どんな存在だったのだろう?



えっと、今更ですが・・・(のろのろ)

「言葉」と「差別(階級社会)」と「二面性」がテーマの物語ではないかと。
私は観劇(狂言含)で声をだして笑うほうではないのですが(面白くないわけでない)、このお芝居は声に出して笑ってしまいました。3時間(休憩含)があっという間に過ぎてしまう、可笑しくて切ないお芝居でした。幕の終わりは“ほろり”と切ないのです(泣)
三谷さんおお芝居は『なにわバタフライNV』に続いて2回目。
両作とも配役がお見事! 特に、深津さん以外のベッジは考えられない。
ベッジの最後の台詞は解釈の分かれるところだと思いますが、私は金之助にとって“非現実的=夢”だからということと、留学生・金之助が、文豪・漱石に生まれるかわる瞬間と考えています。

以下 ↓ 「」台詞はうろ覚え。大体こんな感じ。


**********

巻き散らかした伏線を、しっかり回収。
1回目は「あれはこれの伏線だったのか」と“回収”で笑い、
2回目は「これもあれの伏線だったのか」と“撒き”で感心。

三谷さんがビリー・ワイルダー監督のファンであることは有名な話ですが、観劇していて、凄く影響を受けているんだなと感じました。三谷さん、綺麗な工作つくりそう。球体をつくるのに“すべすべ”でなく、ちっちゃい角がいっぱい繋がった丸をつくりそう。あ~ モザイク画もいいかも(誉めている)
浅野さんの女装とか反則じゃないかと思うとところもありましたが、それもチリ・チョコのスパイスいれすぎた感じで、喉“ひりひり”だけど美味~って感じ(誉めている その2)。
セットも素敵。特に窓の使い方が上手いなぁって感じました。

**********

開演前はロンドンの地図が描かれた幕が下りていて、音楽と共に幕が上がると下宿の外壁が現れます。“幕が上がったのに、もう一つ幕がある” みたいな舞台ギリギリな位置。
ベッジが屋根裏の自室の窓を開けて、朝の空気を吸い込みます。かわいい~~
曲は『マイ・フェア・レディ』の”素敵じゃない?”
雰囲気ぴったりです。らぶり~~♪

その後屋根裏部屋部分を残してとういか、下の階(3F)の外壁が上がって金之助の部屋が現れます。金之助の引越し日です。地図(ロンドン全体)から、外壁(下宿前の通り)、室内(金之助)で、徐々に近づいていったように感じます。
金之助の部屋の中はもちろん、屋根裏のベッジの部屋も壁紙とか小さいな額縁が飾れれているところとか、窓を開けたとき少ししか見えないのに細かいところも丁寧だなと感じました。外壁が下りている状態で「ここに窓がある」ことがわかっているので、後のパントマイムの窓を開ける場面がわかりやすいといいますか、一層楽しい。
部屋の奥(舞台奥)にも大きな窓があり、ロンドンの町並みがみえます。クリスマスの夜は窓から雪が降っているのが見えたり、暖炉の火がつかなくて“煙もくもく”になったり。
町並みの見える窓、階下(奈落)へ続く階段、屋根裏部屋へ続く階段、非常口みたいな勝手口みたいな出入り口、部屋からでなくても部屋の外の世界が見える(広いロンドンの中の点)ようです(変わった間取りの部屋だと思いましたが、重箱の隅っこな事です♪)

**********

金之助が下宿の主人と英語で挨拶をかわしていると、天の声(女性アナウンス)で「観客に分かるよう、こここから日本語に翻訳してください」とのこと。
“英語が上手く話せない金之助の英語”の翻訳ですから、「私は・・・します」「私は・・・です」みたいなカタコトの日本語がおかしいです。英語がききとれなくて、笑ってごまかしたり、何にでもありがとうと答えたり。
この天の声による日本語と英語の切り替えがおかしくて、毎回笑いに包まれました。

英語教師なのに英語がしゃべれない金之助、英語は完璧なのに日本語だと東北訛りのソータロー、Hの発音ができなコックニー訛りのベッジ、それぞれのコンプレックスの特徴(?)をうまく日本語で表現していたと思います。
英語、日本語の切り替えで、金之助とソータローの性格が逆転します。
英語だと笑ってるだけなのに、日本語だと感情をぶつけてくる金之助。
英語だと自信に満ちて堂々としてるのに、日本語だと膝をかかえて小さくなるソータロー。
ソータローの根暗なところが、その後の嫉妬による嫌がらせと結びつきます。


**********

グレイグ先生に無理やりクッキーを食べさせようとするベッジが可笑しいのですが、その後の台詞で今迄いろいろな差別をうけてきたんだろうなと“ほろり”。
金之助がベッジとだけ気軽に話せるのは、自分と同様に英語(英国内)で辛い立場だから。
それと、想像と実物の合致。
ベッジの台詞で言えば「あたいを下に見ているから」
漱石のロンドン時代本で、金之助が英国人に幻滅していたことが書いてあります(パンフでも紹介されていますね)
お芝居の冒頭でも、下宿の主人の無教養にがっかりしているように見えましたし、下宿で足袋を履いている、来客も土足厳禁なところとか、英国人(英国の慣習)に“がっかり”なしていることを感じました。(ロンドン足袋は萬斎さんが留学時代に実際にやっていた事ですが)


ベッジの夢の話は辛い現実からの逃避、こうやって自分を慰めてきたんだなと”ほろり”。
金之助を慰めようと夢の話をしようとして、金之助に「夢の話はうんざり」と言われたときは「慰めようとしてるのに・・・」と哀しい気持ちになり、
ベッジの「あたいには夢の話しかないんだから、夢の話をするななんていわないで。」
の後は「金之助のばか~~~(怒)」という気持ちになりました。
「君は(ベッジは)私だ」と抱きしめているときは、私もベッジを“ぎゅ~~っ”

本涙は流れなかったけど、心中は土砂降りでした。外壁がおりてきて窓越しのに二人をみていると、ここで(一幕で)完結でもいいかなという気持ちになりました。
私はベッジみたいな夢の話はないけれど、スクリーンを前にしているときと同じなのかなとちょっと思う。

**********

2幕はビクトリア女王の葬儀の日。
1幕はクリスマスで終わっているので、2ヶ月経過しています。その間、ベッジと金之助の距離が“ぐ~~ん”と近くなっているのは、金之助のコックニー訛りの英語と、ベッジと同じ夢を見ることでわかります。

日記に葬儀の感想を書いていると、ビクトリア女王が金之助の部屋へ現れます。
浅野さん配役の1つ、ビクトリア女王に??でしたが成るほどと感心。
見当違いかもしれませんが、ベッジの夢の話に登場した人物の中で「実際に会話するのは無理な人」、と会話ができるとういうのは、同じ夢を見ることができるということで、二人の距離といいますか、共通点を表現しているのかなと思いました。それと、“後の文豪”に必要な想像力も。
正確には、ベッジが去った後、ミスタージャック(犬)の登場で気づいたことですが。


**********

グリムズビーが人間観察力に優れていることは、2回目の観劇で感じたこと(撒きに感心の1つ)。
初対面で金之助が英語を話せない理由、ソウタロウの本心をさらりと見破っていました。
ベッジと金之助の関係と逆に、グリムズビーは自分と同じものをソウタロウから感じ取って避けていたのではという気がします。

ソウタロウの本心(金之助に対する嫉妬心)が、しょうもない事と思うけれど、わかる気もします。
習い事をしていたとき、もって生まれてセンスというのを強く感じて、趣味までダメなんだなぁて落ち込みました。私はソウタロウみたいな意地悪はしないけど。
それと、無意識で他人を傷つけたり、傷つけられたりは誰でも経験あるのでは?

金之助の心が妻子よりベッジに傾いたのもわかる気がします。
現在より家事労働に体力と時間を使っていた頃、手のかかる子供もいる女性に対して、手紙の返事がないと腹をたてるのは、器の小さい人に思いますが(お芝居では届いた手紙をソウタロウが隠してます)、辛いときに側にいてくれた人の存在は大きいです。遠距離恋愛は難しいですね。
ベッジの気持ちをわかっていながら、妻子のことを打ち明けないことも、腹は立ちますが良くあることでは?

妻の筆不精をうまくからめたなと感心。

ここまで書いて 映画『マーラー、君に捧げるアダージョ』を思いだしました。
「起きたことは事実、どう起きたかは想像」 だったかな?

**********

ベッジの最期は辛いけど、後味は悪くありません。
ベッジが亡くなったことを知った後、ベッジの夢を見る金之助。
亡霊ではなく夢と感じるのは、ベッジが最後に「今度はあなたが夢の話をする番」と訛りなしで話すから。う~~ん。亡霊って、ある意味“本人”だと思うのです。ベッジが訛りなしで話せるとは思えないので“夢=想像”かなと。
(死んだ人と会う事にかわりないので、どっちでもいい気もしますが)

この夢のあと、留学生・金之助から(後の)文豪・漱石に変ります。
ベッジの代わりに夢の話を書くのです。
訛りのない台詞で死を認識、小説(最後の漱石ポーズ)で昇華・・・というのが、私の解釈です。


え・・・扇子のことですか(汗)
う~ん・・・。
片付けてるようで戻してることで、現実は何も変ってないということ。
なのに、なぜ、扇子が残されているか・・・

実は、まだ自分の考えがまとまってません(のろのろ)

お盆休み中に書き上げたい・・・。
(9月の文楽予習しないとだし)




by k-mia-f | 2011-08-14 10:57 | 演劇 | Comments(0)